今回は、墓石の竿石(一番上の石碑)の正面に彫る文字についてです。
ここに彫る文字で一般的な文字は「南無阿弥陀仏」などの名号や題目です。
富山県の墓石の約90%はこの名号が彫ってあるので、その家の宗派が一目瞭然です。
次いで多いのが、「先祖代々の墓」「累代の墓」「〇〇家の墓」といった文字で、その次が「好きな言葉」を彫るというものです。
「名号や「代々墓」と彫るのはイヤなので、好きな言葉が彫りたい」と言われる方は少なくないのですが、では「何を彫りますか?」とたずねると、「何が良いと思いますか?」と聞かれることがあります。
そうなんです。
「好きな言葉」を決めている人はそう多くなく、実はむずかしいんですよね。
人は自由に何でも決めていいよと言われると、意外と決めれないものなんですね。
この瞬間にも地球上では、幾千万の「何食べたい?」との問いに、数えきれないほどの「何でもいいよ」との返答がなされていることと思います。
でも、決まりきった言葉は彫りたくない!
そうして彫りたい言葉を探す旅が始まります。
そして、ついにその言葉が見つかり、「これを彫りたいと思います」とせっかく考えついた言葉を提示されるも、「それはやめといた方がいいですよ…」と言わざるを得ないものがあります。
それでは、墓石に適さない言葉とはどんなものがあるのでしょうか。
その言葉は代々まで受け継がれる価値がありますか?
適さない言葉といっても、墓石に彫ってはいけない言葉や文字があるわけではありません。
適さないと考えるのも価値観なので、価値観が違えばそれは適しているとみることもでき、これは私見であり、「スナダ石材ならばおすすめしない」ということになります。
では、私たちがどういう言葉や文字が適さないかと考えると、それは墓石という存在とかけ離れた言葉です。
墓石というのは墓守がいる限りは、そこに永代にわたり建っているものなので、建立者が「この言葉が良い」と思っても、代が変わり、その言葉に「何でこの言葉なの?」と思われては元も子もありません。
そういった意味で「やめた方が良い」と答えた言葉に、「浮いたか瓢箪」というのがありました。「浮いたか瓢箪」というのは、八尾のおわらの囃子言葉の一節になります。
浮いたか瓢箪 かるそに流るる 行き先ゃ知らねど あの身になりたや
この一節が唄われたら、おわらの最後の合図だということで、「終わりの始まり」を表す言葉ともいえます。
そういう意味では、墓石に彫る言葉としても適していそうですが、「浮いたか瓢箪」という表現に何か引っかかりを感じたのです。
浮いている瓢箪ですから、とうぜん中身は空洞、空っぽです。
あとあと墓を継いでいく方に、「空っぽ」という言葉を継がせてしまっていいのだろうか。
墓石というのは、瓢箪のようにゆらゆら揺れ、どこにたどり着くかわからないイメージとはかけ離れ、むしろそこに不動の存在として建ち尽くす力強さがあります。
墓石が象徴するものと言葉にズレがあり、それを後々の人に託すのはどうなのだろうと思ったのです。
このことを施主さまにお伝えすると、すぐに納得され、彫る文字は変更になりました。
同じ文脈で、墓石に彫る文字・言葉としておすすめしないのは、他にも「うたかた」があります。
~ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。
世中にある人と栖と、又かくのごとし。~
方丈記に出てくる「うたかた」。これは漢字にすると、「泡沫」となり、ようするに泡のことです。
人生ははかなく、それを水に浮かぶ泡にたとえていますが、「泡」という文字を竿石に彫る人はいないと思います。
墓石の石は、泡まみれになってもキレイになりこそすれ、消えたりはしません。たしかにそれぞれの人生は儚いのですが、想い出は永遠にとの願いがたくされる墓石ですから、「うたかた」も美しい言葉でありながらも、墓石には合わないと感じます。
墓石に彫られている「好きな言葉」の実例
それでは、じっさいにスナダ石材で彫った文字や言葉にどんなものがあるのかを、写真でご紹介いたします。
他にも「ありがとう」や「TOGETHER WITH YOU」などの英語もあります。
これは他社施工の墓石ですが、あの松田優作さんのお墓には「無」と彫ってあります。
墓石は永代にわたり存在し、それが象徴する絆は「無」でなく「有」なのに、「無」と彫るのはどうなの?って思うかもしれませんが、禅宗での「無」は煩悩からの解脱のことで非常に深い意味があります。
「南無~」にも「無」が使われていることからも、私たちが考える「無」よりも深く、生きることの根源的な意味があると思われます。
墓石に彫る言葉のまとめ
何を彫っても良いからこそ、そこに彫る言葉や文字には、自分の死後も残るものであることを意識したいものです。自分以外の誰かがそこに手を合わせることを想像すると、単に「好きな言葉」だけで選ぶのは避けたほうが良い場合もあるでしょう。
文字が生まれたのは今から、5,6000年前。
いつしかその文字が、木簡から石碑へと刻まれるようになり、紙に書くようになって、現代にいたってはモニター上で文字を追いかける時代です。
文字を残すツールが変わったことで、文字は簡単に消すことができるようになりましたが、墓石に刻む文字や言葉は簡単には消えません。
だからこそ意味があるし、情報量としては少ないですが、そこには多くのメッセージが存在しています。
そしてそこに刻まれる言葉の多くが、新しい言葉ではなく、聞き慣れた、言い伝えられてきたもののはずです。
誰しもが知っていて、ずっと使われてきた言葉。
最後に残るのは、結局そういう言葉なのではないかと思います。