いつごろからか、「形式やモノなどのカタチよりも心を大切に」という言葉を耳にすることが増えてきました。私自身も似たようなニュアンスの言葉をブログで使っていた記憶があります。
それでも、お墓という「カタチ」をつくったり、守っていく(改葬ふくめ)仕事に携わっているので、「心はカタチがあってこそ」の視点は当然そなわっています。
しかし、現代はカタチはなくてもそれに代わる何かを大切にしている人が増えてきており、儀礼をふくめたカタチやモノの価値が相対的に低くなってきています。「心の時代にはいった」ともいいますが、そうなると「心とカタチは相対するものなのか」という疑問がぬぐえません。
それを解いてくれたのが、この本でした。
モニュメントを考古学的見地からみることで、人間行動と日本の特質にせまる内容で、なぜ人は墓をふくめたモニュメントを建ててきたのか、といった社会背景や思想についても考察されています。
縄文時代、お墓は2つの大きな意味があった
縄文時代の遺跡、とくに人口が増加しはじめた縄文中期以降の遺跡には、モニュメントの初源的なあり方がみられます。
①お墓はアイデンティティを現した
岩手県の西田遺跡では、墓域を中心とした放射線状の構造が明確である。
『日本の古墳はなぜ巨大なのか』 第2部 日本の古墳は巨大なのか 人間行動とモニュメント より引用
これは、おそらくは出自関係に基づいて埋葬地点が決められているために、長期的に親族関係が空間的に物質化したものとみることができる。
縄文時代は狩猟採集社会なので、人口が増えると、それぞれの集団の活動領域に対する意識が高まっていったと考えられます。
自らがどの集団に属しているのかということ、出自の認識が重要になるため、その情報の共有、アピールするために墓地の形成が促進される傾向がある{Parker-Pearson 1980}
『日本の古墳はなぜ巨大なのか』 第2部 日本の古墳は巨大なのか 人間行動とモニュメント より引用
縄文時代の環状集落も、そうした文脈でとらえることができる{松本直子 2005}
自分の祖先が誰であるかということについては、文字のない社会で3世代4世代以上さかのぼって記憶することはきわめてむずかしいが、墓として物質的に大地に作り付けてしまうことにより、物理的に参照することが可能となる。そういう意味で、記憶に働きかけるモニュメント的な性格を持つといえよう。
人口増加にともない、集団の属性情報として墓地がその役割を果たした、もとい墓地が属性情報を判断する目的を担い、出自の規範を物質化した、というわけです。
現代であれば、「戸籍」がその役割を担っていますが、まだ文字も社会も文明も生まれておらず、すぐに自分のアイデンティティを証明できるものは集落のなかの墓であった、というのが遺跡からわかる当時の状況です。
②天体の動きの知識を物質化した
その後、縄文時代の中期末には定住的な環状集落は放棄され、東北地方でストーンサークルが作られるようになります。
秋田県の大湯遺跡の環状列石でも、ストーンサークルは一度に作ったものではなく、それぞれの出自集団が墓を所定の位置に作り足していくことによって環状の配置になっていると考えられています。
同心円的な二つのストーンサークルの軸を結ぶラインは、冬至の日の出あるいは夏至の日没を意識しているとの見方もあり、太陽の運行を意識した(住居跡は確認できず、定住的な集落ではない)儀礼的なモニュメントとして構築されたとみられています。
こうした特徴からみえてくるのは、縄文時代の墓というモニュメント(モノ、カタチ)は、人口増加が起こった中期にアイデンティティの証明となり、さらに自然界の太陽や星などの天体の動きに関する知識や認識が、モニュメントの構築により物質化されたことがわかります。
そのようにして物質的な世界を作り出し、その中で生活をすることによって、その世界の見方、感性や、時空間の認識、価値観といったものを学習していく。このサイクルによって、物質的な世界の形成とそこで生きるヒトの心の変化が継続的に進行することになる。知識や記憶、情報というものは、私たちの脳の中だけにあるわけではなく、人工的環境の中にもさまざまな形で存在している。天体の運行に関する知識や、先祖や過去のできごとに関する記憶など、さまざまな情報が環境の中にちりばめられているため、身体を介した物質世界と心のインタラクションの総体を認知活動としてとらえることができる。
『日本の古墳はなぜ巨大なのか』 第2部 日本の古墳は巨大なのか 人間行動とモニュメント より引用
天体運行がモニュメントとして物質化したことで、生命の不思議さをそれになぞらえるようになり、儀礼や葬送の原型が生まれたとも考えられるかもしれません。
人口増加については、経済史の観点では、18世紀の産業革命以降が顕著であることがわかっていますが、考古学的研究からは、約1万年前に農耕・牧畜がはじまり、定住的な集落や都市が形成されてから増加傾向にあると推定されています。その人口が増加した時期に、ヨーロッパ、エジプト、日本列島、中南米なので大規模なモニュメントが築造されています。
このことから、それまで低めに安定していた人口が増加に転じたのは、それまでにない生き方を可能にするような新たな環境を作り出し、それによって人間の思考、行動、社会関係も大きく変化したことが要因になっており、モニュメント構築がその重要な役割を果たしたと考えられるといいます。(参照:『日本の古墳はなぜ巨大なのか』 第2部 日本の古墳は巨大なのか 人間行動とモニュメント)
アイデンティティが証明されることで、集落、コミュニティが安定し、自然界の天体運行だけでなく、身近な動物、植物も家畜化、栽培化されて人工的な環境の一部になっていきます。そういったサイクルを経て、かつての日本人は縄文から弥生へ向かっていく環境を自ら作り出し、その環境に適応し、人口増加に拍車をかけたということです。
人間の脳のなかに生まれたある意図が、墓、墓地という空間を作り出し(物質化)、そこで生活する人々の心を変化させ、いまの人口爆発世界につながっていった。これが、墓というカタチ、モノがたどってきた道程で、だからこそ今日にまでつながっている理由であると思います。
その途中には、権力から生まれた秩序をいかに継承していくか、その証でもある不動の威信財としての古墳が生まれています。権力者の威信を長期に語り継ぐためには、移動や移転が不可能な威信財が必要だったため、その人自身のアイデンティティと、それを利用して社会を形成していくために必然的に巨大化していったとみられます。
意図がモノとカタチを生みだし、心が形成される
古墳時代は消滅しますが、その後やってくるのはいまの世界につながる大宗教時代です。
日本は世界宗教である仏教を受け入れ、その世界観のもとで築かれるモニュメント、仏閣や寺院、仏像が出現したことで、権力者がつくった秩序ある世界を語り継ぐための古墳が必要なくなったともみられています。
葬送儀礼の大きな舞台装置でもあった古墳に宗教(仏教)が取って変わったとするならば、逆にいえば、宗教という世界観をみんなで共有できるようになるまでは、墓にその一旦をになわせていたとしてもおかしくないでしょう。
自身と集団のアイデンティティ、自然界への畏れ、敬いといったものがカタチになり、そこに語り継ぐべき物語をのせて巨大化して可視化させ、次の社会への足がかりとした、というのが墓のモニュメントとしての役目だったのではないでしょうか。
カタチか心どちらが先かを論ずるのは、鶏が先か卵が先かの話になってしまうので脇に置きますが、こちらのTwitterであるように、少なくとも私たちはいまは弔いの両輪の世界に生きています。
新しい社会関係を構築する際に、それまで見られなかった人工物・人工的環境が形成される。新しいバーチャルな信念を「リアル」なものとして共有するためには、それを支える物質的な根拠が必要とされるためである。世界の複数の地域で見られる大規模なモニュメントは、こうしたプロセスの中で見られる普遍的な現象として位置づけられる可能性がある。
『日本の古墳はなぜ巨大なのか』 第2部 日本の古墳は巨大なのか 人間行動とモニュメント より引用
テクノロジーが進化したいま、新しいバーチャルな信念を物質化するのは、必ずしも従来のモノやカタチである必要はないのかもしれません。ただ、人間が人間たる所以に、従来のモノやカタチとの関係性があり、そうして社会や文明をつくってきたことを忘れてはいけません。
私たち人類が墓をつくってきたのはその証であるし、いまあるお墓は時代がどういった社会関係を構築しようとしていたかの証であるでしょう。
では、これから来たるニューワールドでは、墓はどういった役目をになっていくのでしょうか。
墓をなくしていく傾向もみられますが、ではそれに代わるモノは何なのか、またこれまで墓が担ってきた役割は、これからの社会では必要がなくなっていくのか。
その答えは、私たちがどんな世界観を共有していこうと考えているかにあるのだろうと思います。