お父さまの納骨の前に、古いお墓をキレイにしたいというご依頼をいただきました。
外側はもちろん、お客さまが気になっていたのが、納骨堂のなかの様子です。
地下納骨堂になったお墓ですが、納骨堂の蓋が鉄板になっているタイプでした。
蓋を開けると、深さ、間口は3尺(約90cm)ほどでしょうか。棚がそなえつけになっており、その棚には2つのお骨つぼが安置されていました。
棚の下には、古いご先祖のお骨がまとめて大きな入れ物におさめてあり、土に還してあったものを一まとめにしてあるようでした。まわりに小さな古い個人墓が数基あるので、おそらくこのお墓を建てたときに、お骨を一つににまとめたと思われます。
墓石のクリーニング
お客さまの最初のご要望は、あまりお金をかけずにお墓そうじをして、納骨堂のなかもキレイにしておきたいといったものでした。
今回のように、お墓が古いとお墓そうじだけではキレイにならないので、墓石クリーニングについてご説明し、お見積もりを出させていただくと、クリーニング後のお墓のイメージができたようで、さらに納骨堂のなかの整理整頓もお願いしたいというご依頼になりました。
お墓はキレイにクリーニングをして、花立や線香立て、ロウソク立ての金具も新しいものに交換しました。
納骨堂のなかを整理整頓する
お墓の外観がキレイになったので、次は納骨堂の整理整頓にとりかかります。
地面と納骨堂の石枠の隙間がかなりひろがっており、雨など水の侵入を防ぐことができず、納骨堂内部には水が貯まっていました。
まず、その貯まっている水をできるだけ抜いて、そこにあらたに砂を敷しいて、少し底上げします。
あらかじめ、サイズを測って作っておいた棚石をすえ付けるため、両端をブロックで支えます。もともと備えつけられていた棚とほぼ同じ高さで、前方にスッポリとおさまりました。
一つにまとまっていた古いお骨は、用意していた新しい骨壺にまとめ、奥の古い棚にもとの2つとあわせて、計3つの骨壺が安置された状態に。
今度の納骨は、新しくすえ付けた棚にラクに納めることができるようになりました。
整理整頓する意味
古いお墓をキレイにするというと、外観のクリーニングの話ばかりが強調されますが、お客さまの立場からすると、お墓が古いほど内観も同様にキレイにしたいというご要望が出てきます。
墓は家とちがい、内観や内装などにこだわる必要は本来はないのですが、大切な人を納骨するとき、その空間を少しでも整えてあげたい、というのが人間の心情なのでしょう。
そういえば、以前読んだ本にこのようなことが書かれていました。
「自然界を見回しても、放っておけばどんどん散らかる、という傾向がある。これは物理学ではエントロピーが増大する、という大原則だ。それどころか、この「散らかる」状態のことを、「均質になる」といったりもする。
『アンチ整理術』より引用
振り返ってみると、片付いている様とは、ものがランダムではない状態であり、同じ種類のものが同じところに集まっていたり、密集しているところと、なにもない空間が綺麗に分かれたりしていて、つまり「不均質」な状態なのだ。 この不均質な状態とは、人間が作り出したものであり、すなわち「人工」である。」
自然界には、そもそも「整理整頓」が存在せず、わたしたち生命も同様に「不均質」な存在なのに、いま流行り(?)の整理術は、そういう意味においては不自然な作業で、人工的なものであると定義されています。
しかし、わたしたちはなぜこれほどまでに整理術なるものに魅了されるのか、そこには何があるのかを本書は探っていく内容になっているのですが、墓についても同じことがいえるのではないかと考えています。
生命が不均質なものであるなら、その亡骸もそうであるはずです。それをなるべく均質化しようとするのが「墓」なるもので、さらにその墓の内部をも均質に整理したいと考えるのが人間なのではないかということです。
納骨堂のなかを整理整頓するということは、まさにこの作業なわけで、とても人工的なことをやっているといえます。
おそらく脳は、整理整頓された人工的な状態のほうを好み、逆にあまりにも不均質な状態、カオスな状態に嫌悪感を覚えるという仕組みになっているのではないでしょうか。
時間が長く経過するほど、お墓も少しずつ不均質(自然)な状態に戻っていきます。納骨堂のなかに水が入ることも、自然の仕組みで考えれば、墓も自然も一体化していっていることに他なりません。
でも、その状態を目の当たりにして、「よし!人工的な墓がどんどん自然に還ろうとしているぞ」と喜ぶ人はほとんどおらず、何とかして均質な状態に戻そうとするのが人間なんだと思います。
最近、夏の山林に足を踏み入れ、おどろおどろしさを感じたのですが、そこに墓が一基でも建っていると安心感をおぼえました。自然界の不均質さに恐怖感をいだき、人工的に整地されている墓所をみてホッとしたというこの状況は、山の中をとおり抜けて町が見えたような安堵感と同じ感覚ではないかと思います。
ある意味では、墓の歴史は「整理整頓」の歴史でもあり、いかにそこに均質さを求めるのかを追求してきているのかもしれません。
墓という(自然素材を利用した)人工的なものから垣間見える「人間らしさ」に、わたしたちはホッとさせられて、これからも過度ではない、適度な墓の整理整頓を追求していきたいと思います。