今年は雪もなく、新年のお墓参りをされた方も多いと思いのではないでしょうか。
ここ最近は、SNSなどでも新年の墓まいり投稿が見られるようになりました。
墓をとおして自分をみている
お墓まいりで、新年の抱負を語らせてしまう無意識とはなんだろう?
これはおそらく、 「墓を見ている自分と墓から見られている自分」 を無意識に感じとっているからではないかと思います。
「人が花を見る時、花も人を見ている。そのとき、花と私たちの間には、ひとつの「場」が出来上がっている」
これは哲学者・人類学者の中沢新一さんの言葉です。
この物体との境界を超える感覚が日本人は非常に鋭く、強いことを著名な民俗学者、仏教学者たちも言っています。
それを作家の赤坂真理さんは、「『モノ』への恋あう力」と表現されていました。恋心に近いくらいの、モノと一体化しようとする力が「モノづくり」という技術の高さにつながっている日本人の一つの「特性」であり「感性」でもあります。
お墓は死者と一体化できる場所になっている
墓前で新年の抱負を語るとき、おまいりしている人の感覚は、死者と一体化し、死者がそこに再生しているようにとらえているといえます。
お墓まいりをする私達の行動からみてとれるのは、禅の「万物一体」の思想に近く、 それが一般庶民にも違和感もなく自然に浸透していっていることを、お墓からも知ることができます。
そして、日本人が持つ死者への感性ともつながり、亡き人を記憶している限り、こういう場があることで「一体化を遂げている私達」が、墓という存在ができてから現在にもつながっている、~だけど「無意識」である~、墓文化なのではないかと思います。
一体化できる場所。それがコミュニケーションの場
「死者と一体化」できる場所というとなんだか重々しい感じがしますが、これを現代的にいうと、「コミュニケーションできる場所」になるのではないでしょうか。
人は、コミュニケーション手段を通じて進化してきています(言語の発達が顕著)。
時空を超えたコミュニケーションをスムーズに行うには、そのモノの形・素材を上手に生かすことにあると思っています。
だから私達は、「墓というカタチ」にこだわっています。
墓という「モノ」に恋しているんです(笑)
恋こがれる想いをあらわし、共有したくて、こんなものまでつくりました。
よかったら、手にとってみてください。