このところ世間を騒がせているニュースとして、夫婦別姓のヤジ問題があります。
杉田水脈議員「エア電話ウケる」「液晶真っ暗」と揶揄される…毎回電話中で取材お断り
「だったら結婚するな!」とヤジを飛ばしたとされる某議員の取材の様子がニュースになり、ヤジを飛ばしたかどうかよりも、エア電話をしていたかどうかについて取材してほしいくらいの状況ですが、わたしも10年前はこの議員のように「夫婦別姓って何考えているの?」と思っていました。
ところが、女性も仕事を持つのがあたりまえの時代になり、またフリーランスや起業といった働き方の多様化がすすむなか、夫婦別姓を導入し社会的に整備していく必要があることを理解するようになり、いまでは180℃考えが変わり、導入に賛成しています。
10年前、夫婦別姓を導入するのはおかしいと考えていたのは、いま思うと、お墓の仕事をしていることで夫婦別姓になることは、これまでの家のお墓のあり方を覆すことにつながるような、うっすらとした危機感があったからかもしれません。
しかしながら、お墓の歴史を学んだことで、そして家族のあり方の多様化がすすみ、お墓のあり方も多様化していくなかで、夫婦が同姓であることが家族としての絶対条件ではないことを理解していくようになりました。
じつは「〇〇家の墓」の歴史は浅い
「○○家の墓」が建つようになったのは明治以降のことです。
というのも、明治3年になって、庶民が苗字を持つことを許されたからで、それ以前はそもそも一般庶民は苗字を持てなかったのです。
苗字を持つのが義務化されるのは、明治8年。富国強兵のため、兵籍を取り調べるため軍が要求したとされ、民法が制定された明治31年に、同一の家で同一の姓を名乗るよう義務づけられました。
ですから、墓石に「○○家の墓」と彫られるようになったのは、明治31年以降であると考えられます。
人類の墓の歴史とくらべると、墓に姓を彫る歴史はたかだか120年ほどになり、しかも現代では、実家と嫁ぎ先の両家の墓を一緒にする「両家墓」や、家を問わない「共同墓」も登場しており、「墓=同一姓」との図式が成り立たなくなってきています。
別姓の夫婦がお墓を建てた場合
夫婦別姓が導入され、それを選択した場合は、夫の実家の姓、妻の実家の姓、どちらも彫る「両家墓」的なお墓になる可能性があります。
また、どちらか一方の姓を彫る、従来どおりの墓を選択しても、家族間で合意があれば問題ないでしょう。
墓石に苗字を彫らなければならないという決まりがあるわけではないので、彫らない選択もできます。じっさいに、夫婦同姓であっても、あえて苗字を彫らない方もいらっしゃいます。
社会が変わることでお墓のあり方も変化
夫婦のあり方が変わることで、家族のあり方が変わるおそれを抱いていた10年前。
しかし、いまでは夫婦別姓問題は家族のあり方というよりも、社会のあり方を問うていると思います。
これまでの社会常識が常識ではなくなる時代に向かい、これからはたくさんの変化が押し寄せてくるでしょう。
ただ、お墓については時代とともに、そのあり方が柔軟に変わってきていることを見逃さないようにしたいところです。
平安後期から鎌倉時代にかけて、武家が建てた墓。
江戸時代の檀家制度で生まれた庶民の墓。
明治時代の家制度で生まれた家墓。
そして、家墓から両家墓に共同墓へとシフトしていっている現代。
お墓もわたしたちとともに、時代の変遷をしっかりと見守っているようです。