先日の「ほっこり法座」のテーマが「浄土ってなに?」でしたので、どんなお話が聞けるか楽しみに参加してきました。
今回、お話しくださったのは、富山市金乗坊の西塔公崇先生。浄土真宗の法座ということで、そもそも浄土真宗は、この「浄土」にこだわりを持っている宗派だといいます。
ビール好きな人が、キ〇ンじゃないとダメとか、ア〇ヒじゃないとビールじゃないといったこだわりがあるように、そのこだわりを持つ「浄土」について、真実を教えるのが「浄土真宗」なのだとか。
浄土の反対語は?
浄土に似た言葉として、「あの世」や「天国」「極楽」「冥土」などが思い浮かびますが、浄土の意味を探るにあたり、その反対語から見てみようということで、浄土の反対語ってわかりますか?
穢土
と書いて、「えど」と言います。
「土」は世界を意味し、「穢」は穢れ(kegare)ともいい、仏教では「穢土」とは煩悩の世界を表しています。
煩悩とは自分の欲望のことで、穢れた世界とは欲望にとらわれた世界のことになります。じつは仏教で「天国」といえば、この穢土の一つ、六道にあるとされています。
<六道>
- 天国
- 人間
- 修羅
- 畜生
- 餓鬼
- 地獄
穢土が穢れた欲望の世界であることはわかりました。
では、その反対の意味である「浄土」とは、どんな世界のことなのでしょうか。
それは欲望から解放された「悟りの世界」であり、欲望が生む苦しみや争いのない、浄らかな世界を意味します。
ちなみに神道では、「死」は「穢れ」ととらえますが、仏教での「死」は、欲望から解放された悟りの世界、仏の世界への旅立ちを意味し、「極楽浄土」とは、この世で死んでからがほんとうの楽しみの始まりだという意味になり、神道とは真逆のとらえ方になります。
あの将軍も浄土と穢土を意識していた!
歴史好きな人は、この「穢土」と「浄土」を見て、「あっ!」と気づくかもしれませんね。
あの徳川家康の旗印には、この二つの言葉が入っていたそうです。
「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど そきゅうじょうど)」
意味は、穢れた世を厭い、離れたいと願い、欣(よろこ)んで浄土に行くことを求めるという意味で、阿弥陀如来の浄土に往生するための平安時代の仏教書「往生要集」に出てくる経文です。
家康は、これを菩提寺の住職から教えられ、「住み良い浄土を願い求めるならば、仏の加護が得られる。それが使命だ」との言葉を信じ、旗印に使ったといわれています。
江戸幕府の「江戸」は「穢土」からきているとの説もあり、幕府が長く続いたのは、平和のための構想がしっかりとデザインされていたからなのかもしれませんね。
昭和天皇も気づいていた浄土の姿
浄土とは悟りの世界ですが、煩悩にまみれた私たちのはるか彼方にあり、容易にたどり着ける世界ではありません。
そこは無限の世界であり、すべてが輝いていますが、私たちにはあまりに遠く、イメージすることができません。しかし、阿弥陀さまは、そこに私たちを導きたいと願い、イメージできる世界にして伝えようとしています。
すべてが輝く世界とはどういうことでしょうか。
植物の研究をされていた昭和天皇は、「雑草という名の草はない」と言われたそうです。
草には、ひとつずつ名前があり、それぞれがまったく別の存在にもかかわらず、わたしたちは自分の都合で、それをひとまとめにして「雑草」と読びます。
穢土では、モノの見方に甲乙をつけようとしますが、浄土ではすべての存在が等しく輝くのです。
ここでハッと気がつきました。
自身や大切な人がそういった物差しで見られることはイヤでたまらないくせに、他者に対しては、きびしく甲乙をつけている自分の姿に…。
じつは、阿弥陀さまが教える「すべてが輝いている」浄土を知ることは、「わたしはそうではない」という逆説であり、真の自分の姿なのです。
そう。またまたわたしは、この法座で、穢土で煩悩に苦しむ自分自身の姿を教えていただいたわけなのです。
そして、法座後はお寺ごはん。
このお料理、ほんの数名で、この品数を作られたそうでびっくり!
これぞ極楽、極楽でした♪