先日、北日本放送「ワンエフ」で、「ウィズコロナの新しい生活 これもオンライン?」で、スナダ石材のオンライン墓まいりサービスをとりあげていただきました。
コロナの影響をうけて、オンラインでの取り組みをはじめた3人を取りあげていますが、そのなかのひとりとしてご紹介されました。
ただ取り上げられた3つのサービスのうち、オンライン墓まいりだけは、まだじっさいの依頼がありません……。
そんなんで取材されて大丈夫なのかなと不安でしたが、不思議なことにその依頼ゼロのサービスが、この特集のとりを飾っていました。
ここのシーンは身内や仲間内で大ウケした場面ですが、この後うまく構成されており、なぜこのサービスを考えたのかの必要性も伝わっており、番組のニュース的視点とうまくからみあっていたと自負しています。
出演は2分半ほどですが、撮影じたいは2時間かけており、とうぜん必要でないところはカットされています。
「オンライン墓まいり」に取り組むにあたっての新たな発見についても熱く語っていたのですが、そこはしっかりとカットされていました。
なので、このサービスをはじめようと思ったきっかけについて、後日談的にこのブログでもう少し説明したいと思います。
ずっと昔から、墓はそもそもリモートな存在だった
私がオンライン墓まいりをやろうと考えたのは、葬儀や法要をオンラインで取り組む寺院のニュースを目にして、お墓でもオンラインでできることがあるのではないかと考えたことがきっかけです。また、これまで寺院でおこなわれていた法座がオンライン上でおこなわれることになり、そのときの体験を墓で同じように再現したいと考えたことも発端になっています。
これはオンライン法座をおこなう僧侶の方が、「PCやスマホの前でながら聞きもいいのですが、できたら、ぜひお仏壇の前でお経をあげ一体感を味わってください」とお声がけされたことで、できた体験でした。
法座には時間がゆるせば足をはこび、参加者と一緒に本堂でお経を読んではいたものの、家の仏壇でお経をあげる習慣はゼロに近いのが実情でした。そんな自分がオンライン法座のおかげで、こうしておうちで読経できたことに、小さな感動をおぼえたわけです。
ここでちょっと仏壇のことを思い出してほしいのですが、仏壇というのは本尊をミニチュア化したものなので、寺院に行けなくても、家でいつでも好きなときに手を合わせることができるために作られたものであることはご存知だと思います。
これはある寺院関係者の言葉の引用でもあるのですが、仏壇はそもそもリモートで使うためのツールとして生まれたのです。
一般的に仏壇と並列で語られることが多いお墓ですが、じっさいにそこに出向くことに最大の価値を置いて作られるため、仏壇とは仕様が異なります。
でもおもしろいことに、お墓も仏教的な意味あいで、とてもリモートな存在だと気がつくのです。
それは、墓地という空間が大いに関係しています。
墓地は時空を超えて故人と出遇う場所であり、その故人と離れていてもつながりあえる場所だからです。
また、古い墓であるほど、長い年月のあいだ、そこで手を合わせた先人たちの足跡を感じる場所でもあります。今そこにいる自分が、おなじくそこに集った人たちと、時空を超えてまじわる瞬間を体感できるリモート空間なのです。
いっぽう仏教の教えには、時間的にも空間的にも制限がない、いつでもどこでも私のそばにいる仏さまが根底にあります。
信じる者にとって、リモートな存在である仏さま。
大いなる慈悲、あるいはメタ的な感覚を受けとる能力を育むことができる点でも、やはりお墓と仏教にはどこか共通点があるように思うのです。
時空を超えて縁をはこぶことが仏教にそなわるリモート性であるなら、お墓は故人と縁故者を時空を超えてつないでくれるリモートな存在だともいえます。
だから、「オンライン〇〇」に墓まいりや法要や葬儀が入ることは、ごく当たり前のことでもあります。
もちろん、オンラインよりもリアルでできたほうがいいのは間違いありません。
でも、オンラインでもそれが実現できるということは、そこに時代を超えた普遍性がそなわっている証だと考えることもできると思うのです。
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