先日、日本石材工業新聞さんに「おはかの手帖」について取材していただいた内容が記事になりました!
また、静岡市に久保田石材さんから、インスタグラムで「おはかの手帖」の感想をいただきました!
石材店ならではの熱い想いが、感想からあふれ出ていました。
昨今、「子供に迷惑掛けたくないから」墓じまい。という言葉をよく耳にします。
では、石屋はお寺は迷惑行為をしてるのか?
おはかの手帖の『墓ありじいさん 墓なしじいさん』のストーリーでは、妻を亡くし、お墓を建てようとしている「墓ありじいさん」と、誰も亡くなっていないが自分たちのお墓をどうしようか考える「墓なしじいさん」という二人の存在が、お墓についてのそれぞれの象徴的な立場や考えを、お互いの対話をとおして表現していきます。
10年で変わったお墓に対する視点
この物語は、いわばここ10年くらいでお墓に対する考え方や悩みが、一気にあぶりだされた状況を置きかえたと言ってもいいかもしれません。
それまではお墓がない人はいずれお墓を建てるのがほとんどだったわけですが、お墓を持てない、お墓を維持できないという、これまで取り上げられてこなかったマイノリティの声が取り上げられ、その声を大々的に取り上げるようになり、それがマジョリティになってしまうという現状があると思います。
多様化とは、声なき声(マイノリティ)がしっかりと社会に届き、社会がその少数派をしっかりと受け入れるために整備されることでもありますが、小さな声を広く大きく届けるために、もともと存在していた多数派の声がかき消されてしまう状況を生んでしまう面もあります。
たしかに時代が変わると、それまでマジョリティだった人たちが、マイノリティになってしまうことは多々あると思います。しかし、たとえそうだとしても、その人たちの声にしっかりと耳をかたむける必要があります。それが仕事であるならば、なおさら。
先のことは誰にもわからない。
『墓ありじいさん 墓なしじいさん』序章より
でもその先のことを考えるよりも、
いま置かれてる現状を大切にしようとしたのは、
きっと私だけでなく、こども達も母親を亡くした悲しみ、哀悼があり、
それをなんらかの形で昇華しようとしているからかもしれない。
墓ありじいさんのこの声は、かつて大多数の人が当たり前のように、考える前に行動(建墓)していたために、声としてひろわれることなく、いまやそうでない人たちの声にかき消されてしまいそうにさえなっています。
かき消されて、聞こえなくなっているかもしれないその声を残しておきたい。
それは、わたしを含め、多くの石材店がずっと肌で感じてきた声ではないかと思うのです。