今から5年前のブログに、スナダ石材ニュースレター「さざれ石」の記事をもとに、こんなことを書いていました。
中世の時代に「石屋さん」という呼び名はありませんが、プロとしての石工集団はすでに存在していて、寺院の石垣の建築などに関わっていました。
近江(滋賀県)は寺院の数も多く、石工集団も数多く存在していたと考えられます。では、現代の石材店の仕事を中世の人々の仕事に置き換えてみるとどうでしょうか。単純に考えれば、やはり石工集団ですよね。
でも私は現在の石材店が担っているのは、石工集団としての仕事に、中世頃の「三昧聖(さんまいひじり)」、または「御坊聖(おんぼうひじり)」が担っていた役割がプラスされているんじゃないかと思っています。
【三昧聖】 とは?
三昧聖とは火葬・土葬による遺骸の処理や墓地(俗称はサンマイ)の管理に従事した半僧半俗の宗教者(=聖)のことをいい、一般に「オンボウ」(煙坊・煙亡・隠坊・御坊など)、「墓守り」などともいわれます。
安土桃山時代に日本にやって来た宣教師ルイス=フロイスは、「日本に於いては異教徒の間に貧窮なる兵士および保護者なき人死する時は、フジリスと称する人たちのもとに遺骸運び焼かしむる習慣」のあったことを、書簡にて本国に報告しています。
(引用文献:中外日報 「近世三昧聖の活動と行基伝承」上別府茂)
元は僧が行っていたものが、手順化され整備されていくようになるにしたがって、出家者でなく専門職として「プロ」になっていったのが三昧聖・御坊聖であったようです。
新しくお墓を建てて納骨する時や、五十回忌が終わってお骨を土に還す時、またお墓の建て替えや改葬(お墓の引っ越し)でご先祖様のお骨を整理するという時に、施主様がお忙しかったり、市外・県外に住んでいるという場合、またはお骨に触るのが怖いなどという場合は、スナダ石材が施主様の代わりにお骨に触らせていただいて納骨したり土に還します。
ですから、石だけに触れているわけでなく、お骨に触れることも結構あるのです。
時代は移り変わり現代。
インターネットでお墓だけを売る店も「石材店」とひとくくりにされます。
我々は中世から続く石工集団の端くれとして、しかしお墓を建てる行為だけに終わらず、専門性を深めていき、この時代の終末を考える「プロ」として存在する必要があるのではないでしょうか。
約5年前に三昧聖の役割を意識しはじめ、こうしてブログに記し、その後どうなったかというと…。
やはり言葉で残すことは大事ですね。
意識下にあった想いは、「お墓のまもりびと スナダ石材」という名称にあらわれ、最近では、お骨をおまとめすることはもちろん、お墓の改葬先としてお寺の永代供養墓をご紹介するだけでなく、お客さまの代わりに納骨することもあり、石屋としてよりも三昧聖的な役割が大きくなってきている感があります。
ということは、今言葉で記していることは、これからの5年後を予測することになる…!?
「お墓のまもりびと」は、そもそも「お客さま」のことを指してつくった言葉です。わたしたちはあくまで黒子として、お墓のまもりびとであるお客さまのサポートをする。そして、お墓のまもりびとであるお客さまのストーリーを伝えていこうと。
でも、これからの5年間は、わたしたちがもっと「お墓のまもりびと」に近い存在になる必要があるように思っています。
今回、あらためて調べていると、「三昧聖の研究」(細川涼一編 碩文社)という本があることを知りました。現在は手に入れるのはむずかしそうですが、こちらの書評(森田康夫氏)が載っていたサイトがあったので、そこから抜粋すると、
「都市部の三昧聖は葬送を営む寺院の管理下にあり、農村部では村ごとに三昧聖が散在していた」とあります。
死穢を扱う仕事のため、近世になり身分制度が固定化されていくと、穢れの思想の広まりと相まって差別視されるようになったようですが、 近世の檀家制度が家制度へと変遷していくなかで、三昧聖という存在は消え失せてしまったのだろうと思います。
しかし、現代は家制度がなくなり、檀家制度も形骸化し、誰が死者をどのように弔うのかの議論が生まれ、墓じまいや改葬もこの文脈で語られるようになってきました。
かつて中世の村々が三昧聖と取り決めをしていたように、お墓をふくめた葬送が、家で完結させるしかない今のシステムを、ほんの少し変えていく必要があるのではと思っています。
5年前とおなじで、漠然とした考えでしかないのですが、「そのためにできることは何だろう」という問いを持ちながら、今後の5年間も「お墓のまもりびと」として発展できるようにしていきたいものです。