お墓は言葉とよく似ている。どちらも「時間」という「物語」を必要とする点において

墓石は石の建造物ですが、人間が人間のためにつくったもので、そこに「祈り」や「哀悼」といった湧きあがる感情をのせる「依り代」として存在します。

だからなのか、私たちはお墓もどこか、人間のように意識を持つ存在だと認識しているところがあります。

意識を持つ人間が、自分たちの感情の依り代としてつくったお墓。それは、人間がつくった「言葉」とも似ています。

「言葉」は定義し、方向性をさだめるためにあるようで、切り取り方が変われば、またそれを受けとめる人によって、自由な解釈ができる側面があります。

お墓も受け手にとっては「自由」な存在です。

故人の面影、先祖代々とのつながりといった受けとめ方以外にも、家族と集う場所、祈りの空間、自分自身との対話というように、そのとき、その人にとって好きなように、自由な付き合い方ができる。

言葉が自由な存在であるのは、「言葉は時間を含まない」からです。

「(言葉は)時間の中で動いているものを、はたして記述できるのか? 
これはぼく、かなり前からの疑問だったの。

なぜなら言葉という道具自体が、止まっちゃってますからね。
言葉にしたとたん、時間を排除しちゃうことになります。」


──それは、書き言葉のことですか?

「しゃべり言葉もそうですよ。
だって、録音したら止まっちゃいますもん。」

養老孟司×池谷裕二 定義=「生きている」第四回 言葉には時間がない 「ほぼ日刊イトイ新聞」より

人間は「時間と空間でものを認識」するといったのは哲学者カントですが、言葉そのものは時間を含まない存在であるため、時間のなかで動いていくことを説明しようとすると「物語」にするしかないと、脳について研究してきた養老孟司氏と池谷裕二氏は話します。

言葉がつらなって、文脈や物語ができてはじめて、そこに「時間」が宿る。お墓も同じで、「時間」に接続することで、石の建造物が想いをカタチにしたラブレターになり、亡骸の埋葬場所が家族の茶の間として機能しはじめるのです。

受け手にとっての文脈なり、歴史、物語があってはじめて、かけがえのない存在となるお墓は、言葉によって紡がれる物語と同じなのです。

言葉そのものには時間性がないので、受け手がその文脈をわからないと、言葉は、ときには暴力となりうる可能性を含みます。
だからこそ、人類が協力的になるためには同じ文脈にそった物語をうみだすことが重要になり、人間がつくったお墓も同様に、「同じ物語」「共通の感動」「共通の意義」が前提にあって、はじめて「大切なもの」と認識されるのです。

言葉とお墓は、それ単体では「時間」が存在しない。だからこそ、「時間と空間」をつくりだしてきた人間の営みと歩みが、そこに現れているのです。


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