「こんまりメソッド」から考えるお墓を所有することの「ときめき」

お片付けのこんまりさんが、いまや日本を飛び越えて、アメリカでもブームになっている大きな理由に、物語的な文脈があるからではないかと思います。

渡米した「片づけメソッド」こんまりさんの今。世界中が「ラブコール」を送り続けるワケ

物は所有した途端に、その物との物語がはじまります。
こんまりさんは、その不要になったものをただ捨てるだけにせず、ちゃんと「終わり」をつくっています。かつて、ときめいたものたちの終わりをしっかりと見つめ、「感謝」をして手放す。

このメソッドからわかるのは、「所有」には「手放す」という終わりが内包されていること。

「終わりのない物語はない(物語には必ず終わりがある)」という真理です。

お墓を所有するということは?

お墓を建てる仕事をするようになって、わたしが一番最初に気がついたことは、「人は最後に眠る場所を知っておきたい、もしくは最後に眠る場所を知らずに死ぬのは、なるべく避けたい」傾向があることでした。

「終わり」について把握しておきたい人間の心理を言い換えると、「終わりある物語を生きている」ことの実感ではなかろうかと思うのです。

お墓を建てることも、こんまりメソッドと似通っています。
建墓(所有)がスタートで、自分の死後にその墓に入ることが「終わり」になるでしょう。
または、墓を継ぐ人がいないため、墓じまいをすることが、上の図の第三章になるケースもあります。じつは「墓じまい」の目的も、墓をとおして伝わった物語を完結させる文脈として成り立っている側面があります。


所有の第二章

所有からはじまるストーリーは、第二章の「使う」や「守る」の部分にこそ、その物の個性が際立ちます。

愛着ある物であれば、それを使っている時間がその人らしさを表しますし、お墓でいえば、墓参りに行き、手を合わせ、想いを込めた祈りの時間が、所有をステップアップさせます。

ですから、第二章は、その物と過ごした時間であり、そこには「使用する」や「祈る」といった身体性が加わります。

お墓を宗教的にみるとなおさらです。
親族以外の宗教者による「開眼供養」から始まり、納骨のたびに墓前法要が営まれることも、お墓が身体性を宿していることの現れで、そうなると単なる物ではなくなり、そこに仏性を感ずるようにすらなります。

「物にもいのちがある」と考えるのは、この物との「第二章」を深く感じられる感性の賜物で、その感性を生むのは「身体性」というアナログな体験の積み重ねです。

物を所有するだけでは物語にならず、第二章を経て、第三章の物を手放す(お墓ならそこに入る)までの階段をのぼってはじめて、あなたとその物との「ときめく物語」になるのです。


シェアリングエコノミーなど、物を所有しない方向に向かっている昨今ですが、わたしはこの身体性がある限り、所有欲はそう簡単には消えないように感じます。

こんまりさんのときめくお片付けは、物の所有を減らすこと以上に、物との密度ある関係性の大切さを教えてくれ、そこはお墓にも通じる部分があり、興味深いなと思うのです。



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