【歌舞伎俳優から営業マンまで】成就を願うときに人がまず向かう場所とは?

「どうしても成就させたい願いがあるとき」、あなたはどこへ向かいますか?
たとえば、「合格悲願」や「成功祈願」、「ノルマを達成したい」などの願いを成就させたいときには、神社を参拝する方も多いかもしれません。

でも、どこの神社にどんな氏神様が祀ってあるか分からなかったり、有名な神社は遠方にあることも。
そんなとき、もっとも手軽に行ける場所があるんです。

それは、家のお墓です。

そして実際に、神頼みをする前に、「墓参り」を優先にしている人が多い印象があります。

歌舞伎俳優・中村勘三郎さんが墓参りをしたとき

歌舞伎俳優の故・中村勘三郎さんは生前、初日の前には必ずといっていいほどお墓参りをされていました。
歌舞伎役者を輩出している家柄ということは当然ありますが、それだけではない「何か」を、テレビのなかの勘三郎さんのお墓参りの姿から感じていたのは、私だけではないのではないでしょうか。

大役を担う立場である彼は、同じ大役を担ってきた先代たちが眠る墓前で、いわゆる「精神統一」を図っていたように思います。
初日の本番前に最後の精神統一を図る場として、「家のお墓がある墓所」が最適な空間であったことは、想像に難くありません。

営業マンがついつい墓に足を向けたのはどんなとき?

また、これはある営業マンの方のエピソードなのですが、「どうしてもこの会社に自社と取引してもらいたい」と、ある会社に営業をかけたそうです。
何度か断られたそうですが、その強い願いは消えることはなく、ある日誰の命日でもないけれど、ふと家の墓参りに行ったそうです。
その帰り途に会社から電話が入り、営業をかけていたその会社から「やはりそちらと取引をしたい」という旨の連絡があり、上司から「ありがとう」とお礼の電話が入ったというエピソードです。

墓参りがもたらす【3つの効能+α】

この二つの事例からわかることは、墓参りをすることによって、【精神統一】ができ、それによって【心の整理】ができ、願望が浄化され、それが【信念】となって自分に還ってくる、願いの循環です。

ですが、ここでふと湧く疑問があります。
それは、「仏さまにお願い事をしてはいけない」というものです。

昔から口を酸っぱく言われていても、ついつい先祖にお願いをしてしまう方もいると思いますが、墓参りと願望成就のつながりには、欠けてはいけない要素があることがわかりました。

それは、「利己的」な願いではなく、「利他的」なものであること。
その願いの背景には、他者への敬いがあることが不可欠な要素なのです。

勘三郎さんにとっても、もちろん自分の成功だけを願っているわけではなかったでしょう。
それは、一座にいるすべての人が素晴らしい演技をして、観客に喜んでもらえるという、「他者」がうまく介在することで成功とみなす姿勢があるのではないかと思います。

またある営業マンの方の願いも、「何としても俺のノルマを達成したいんだ!」というものでなく、「うちの会社と取引した方が絶対この会社にとって有利になる」という強い信念が根底にあったそうです。

願望に潜む利己的な思いが浄化されるために必要な「精神統一」「心の整理」は、墓前という場だからこそできることでもあります。

「一念岩をも通す」という故事がありますが、こういった節目での墓参りでは、その一念が墓石という物体を通して先祖に伝わり、墓参者が自分の想いが伝わったと感じることで大きな力を得られるような、良い循環が生まれるのかもしれません。
そして、その墓に眠る人が一人よりも、二人、三人であった方が、当然勇気も倍増するはずです。

逆に悲しいことがあったときも、まず墓に向かうという人も少なくありません。
悲しみから這い上がるために不可欠なのは「気持ちの整理」ですが、そのために自然と墓前に足が向かっていたということがあるのではないでしょうか(私はありますね…)。

「死」をとおした対話

ただし、すべての人がその墓に眠る人を生前から知っていたわけではないですよね。わたしも、砂田家の墓に眠る先祖は誰一人として、生前に挨拶を交わした人はいません。

それでも、墓参りに行くと伝えたい想いが湧いてくるのはなぜなのでしょう。

情報学研究者で起業家、早稲田大学文学学術院・表象メディア論系准教授のドミニク・チェンさんが、6歳の娘さんに遺言書を書いてみようとした体験を語った内容に、そのヒントがありそうです。

それは、相手には届くかどうかはわからないという意味において、「祈ること」と似ている。人が祈る時の内なる声は、他者には聞こえないが、遺言もまた、自身が死ぬ時までは人に読まれない。

だから、人が遺言に死後の祈りを託す時、世界そのもの──人によっては神や仏といったイメージかもしれない──にメッセージを投げかける。それは誰に請われたわけでもなく、誰かに受け止められることを自分で確かめることもできない、自律的な発話行為だ。

そして、それは自分の死後という、自らが一切関与できなくなった世界において、相手が生きるであろう自律的なプロセスに向けて抱く希望の表明である。それと同時に、自らの死がその想像不能な未来が開始する特異点となることを予め祝う行為でもあるのだ。

「未来を思い出すために」vol.16 死後の共話

墓前で想いを伝えたくなる心情は、ドミニク・チェンさんがいう「自律的な発話行為」といえます。

相手が目の前に存在しているわけではないのに、存在しているかのように語る。

他者に促されてする行為でなく、自律的に死者と、または死者をとおして世界と対話しようとする。

リアルでの双方向なコミュニケーションとは違うけれど、境界を超えようとする意思あるコミュニケーションが、わたしたちを解放し、自信につながるのかもしれません。

「墓参り」は幸せの第一歩

墓参りをして良い結果につながった体験(たとえそれがたまたまの偶然だったとしても!)をした人たちが、共通に感じる想いがあります。
それは「感謝」の気持ちです。

そしてそれを「素直」に受け取め、また墓参りに向かう。
すると、その人には「感謝」「素直さ」、また自分だけの力だけではないと思う「謙虚さ」が自然に身につくはずです。

あれ、ちょっと待ってください。
この「感謝」「素直」「謙虚」というのは、人が幸せになるため、もしくは幸せを感じるためには不可欠な要素なはずです。
この3つがあれば、たいていの人はおだやかに生きていけるのではないでしょうか。

ああ、そうなんですね。
「先祖を大切に」と謳われる墓参りですが、それには家庭のしつけや言葉では教えきれないこの3つの要素が、墓参りをとおして自然に、だけど一長一短ではなく、ある日ハッと気がつくように、身についていくものなのかもしれません。

そしてそれを教えられるのが「墓参り」なのかもしれませんね。

そう考えていくと、お墓があって、何のわだかまりもなく亡き人に手を合わせられることが、何と幸せなことなのかと痛感いたします。


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