知人の家族の訃報が続いたさなか、樹木希林さんが亡くなったというニュースが入ってきました。自分の親世代の訃報が周囲だけでなく、メディアからも流れるようになり、喪失感が倍増するように感じるのは私だけでしょうか。
こと樹木さんに関しては、一芸能人の訃報としてとらえる以上の何かが自分のなかにあって、それは亡くなったタイミングのせいかと思っていたけれど、どうもそれだけではない気がしています。
メディアから伝わる彼女の発言、思考、生きる姿勢が、私の何かに突き刺さる感じがするのです。
内田裕也さんとの別居婚生活にはじまり、自身の左目失明に全身ガンの告白。ただ、彼女の場合、それらがそれほどセンセーショナルに聞こえず、リアリティを持って伝わってきます。それは今考えると、人生の節目、節目において、彼女は自分に対してすごく誠実だったからじゃないかと。それが、彼女の言動に現れているのです。
私が役者続けているのはCMがあったからなのよ — 「コピー年鑑2016」 樹木希林さんインタビュー
「アドタイ」2018/9/20より
カンヌ映画祭で受賞した「万引き家族」では、(もう何十年も演じている)年老いたおばあちゃん役が現実と重なり、海辺のシーンでおやつを頬張る姿が、まるでほんとうにそこに存在するかのように映る。
ストーリー上では亡くなってしまう設定ですが、彼女の役が消えた途端、もうスクリーンに現れないのに、その存在感の大きさが際立ちはじめました。
そういう脚本だからといえばそれまでですが、登場人物がみな、樹木さん演じた老女の影響を受けていて、彼女の役が消えても存在感を感じるのです。
そして、樹木さん自身もまさにそういう存在なのだと思います。
隠すことなく、老いも、ガンとともに生きることも見せてくれ、最期は逝き方まで示してくれた女優。
彼女自身の生き方は「時代の風に媚びない」というスタイルはあったけれど、芸能人として時代にさらされることを厭わない、むしろそこで生きざまを晒していくスタイルを貫いたと思うんです。
風向きがどこに向かおうが自分は自分というスタイル。
それは頑固とかわがままでは決してなくて、むしろ寛容さすら感じる人。でも、自身に誠実である分、ごまかしも利かないだろうなという筋のとおった美しさが漂っています。
彼女自身にそんなつもりはなかったかもしれませんが、メッセージ性あふれる生き方にロックな人だったなと思うのです。